第二章 「男らしさ」の反対は、「女らしさ」?(2/5)



■第二章 「男らしさ」の反対は、「女らしさ」?


前回は、

男が育児が参加しないのは、世間体によるところが大きい、
そしてその世間体を作っているのは男らしさという自己認識
でも、そもそも男らしさって?
そもそも「自分らしさ」って?

という話でしたね。

今回は、ほかの「らしさ」と比べながら、「男らしさ」を考えて
みたいと思います。


【「自分らしさ」のひとつ、「日本人らしさ」】


たとえ話をします。

僕は日本生まれですが、小学5年生から親の仕事の都合でシンガポールに移住しました。
そこで4年間、国際校に通うことになったのですが、その時の自分の価値観の変化を今でも
覚えています。

当時はネットが無かったので(無かったんですよ、インターネットも、ケータイも)、
日本の友達とのやり取りは全て紙の手紙による「文通」でした。
しかし、そんなものはすぐに途絶えました。

学校では、日本語をしゃべることができません。
テレビをつけても、日本語の番組なんてやっていません。
常夏のシンガポールの強い日差しで、肌はどんどん黒くなります。

シンガポールの英語は「シングリッシュ」なんて言われる
「ラー」とか「アー」とか、中国華僑ルーツのとても強い訛りがあるのですが
そんなのばっかり上手くなりました。
(英語の発音は今でもコンプレックスです・・・笑)

もちろん全く「日本環境」がなかったわけでもなく、日本人の友達も数人いましたし
日本人会に参加したり、たまの一時帰国の時に大量の漫画とゲームを買い込んで
そういう文化に触れたりはしていましたけどね。

ただそれでも自分がどんどん非・日本人になっていくのが、
一時ものすごく嫌な時がありました。

別に、シンガポールに住んでる人が嫌いなわけじゃないんですよ。
シンガポール人は、シンガポール人で、それでいい。
シンガポールはがっつり多民族・多宗教・多言語国家なので
インド系も、マレー系も、華僑もいますが、
みんな、それぞれの立場をリスペクトしています。
ただ、自分は日本人だから、日本人でありたい、という思いです。


日本人らしくない自分、

日本で久しぶりに昔の友達に会っても話題が合わない自分

そもそも日本人らしさって、なに?

どれだけ僕は日本人らしくならないといけないの?


ここでも注目して欲しいのは、
周りから「シンガポール人になれ」とか「日本人になれ」とか言われてるわけでもなく、
シンガポール人に嫌悪感を抱いて否定しているわけでもなく、
自分自身で勝手に
「自分はもっと日本人らしくありたい」
と思って、苦痛になっているということです。

日本語がヘタになっても、日本人の友達と話が合わなくても、
自分はパスポート的に日本人であることは変わりないのに、
自分は日本人じゃないのでは?と不安に思ってしまう。

日本に住んでると、「日本人らしさ」なんて意識もしない、空気のような存在
日本人らしくて当たり前。日本であえて「私は日本人です」なんて
言ってる人がいたら、逆に「えっ、この人日本人じゃないのかな?」と疑いますよね。

日本という社会を離れて、
日本人が皆当たり前に持っている、言語、宗教観、マナー、衣食住、友達関係、
そういうものを失ってみてはじめて、
「日本人らしさ」が見えてくるのです。


【男らしさを主張することは、女性の価値観を否定することではない】


話を戻して、「男らしさ」についての性差の話をします。
一応確認しておきますが、ここでいう性差は、生物学的な性差ではなく、
日本で「ジェンダー」とも呼ばれる”社会的な性のありよう”についてです。

先の例、この「日本人」の部分を「男」に置き換えてみてください
日本人とシンガポール人、マレー人、インド人が対等なように、男と女も対等ですよね。
ただ、日本人は日本人らしくありたいように、男は男らしくありたいわけです。

日本にいると、「日本人らしさ」に気付かないように、
男性中心の労働社会にいると、「男らしさ」に気付かない、気付けない。

前に僕がTwitterで
家事や育児など、慣れないうちに”男らしさ”のイメージがないことをすると、
男らしさが失われたような気になって屈辱的な気分になる
といった内容をつぶやいたところ、一部の方から「女性差別だ!
と反発を受けたことがあります。

そして、逆に
男性がこう感じることが、どう女性差別に繋がるのか全くわからない
とおっしゃった方々もいました。

「家事を育児をやると、男が屈辱と感じる」という言葉を女性差別と取ること自体、
「家事や育児は女がするべきもの」という固定観念に囚われてしまっている
のかもしれません。
ここの部分を例えば「日曜大工」「編み物」「車のメンテナンス」「お人形遊び」「プラモデル作り」などに入れ替えてみて、比較してみると、いろいろ違って見えてきませんか?

こう考えると、「育児や家事が女だけのもの」というイメージがない人達は、
男がなにをしてどう感じようが、それはそうなんだね、
という印象しか持たないはずですよね。

(ちなみにこれは僕個人に差別意識がなかった、と言いたいわけではありません。
僕も過去、こういう固定観念に囚われていた部分がありました。
差別意識に関しては次章で詳しく述べます)。

この例で言いたいことは、
男らしい行為をしないことによって、
男らしさを失ってしまう→女になってしまう、ではありません。
男らしさを失ってしまう→「非・男」になってしまうのです。

逆に考えてもらってもわかると思いますが、
女らしさをいくら排除したところで、
めっちゃ男らしい人になれるわけでもないでしょう。
日本人性を捨てたところで、他の国の人になれるわけでもないのと同じように。


【ジェンダーは、2つしかないの?】


「性と国家帰属のアイデンティティの違いは、
性は2つしかないのに対して、国家はたくさんあるから同一視できない
性が2つしかない以上、片方の性を肯定することは、もう片方の性を否定することに
なるのではないか?」

という意見もあるかもしれません。

そういう考えから、男が男らしさを失うことを悪くいうこと=女性を蔑視すること
と受け取る人もいるようですが、
果たして本当にそうでしょうか?

Facebook関連の記事でも先日こんな記事がありました。
フェイスブックが50種類の新しい「性別」を追加

男でも女でもない、その他のジェンダーを紹介する記事です。
男でも女でもない…世界に広がる「ジェンダーニュートラル」の影響とは


僕はヒューマン・ライブラリーというイベントによく参加しているのですが、
そこであった、あるセクシャル・マイノリティの方からの言葉もとても記憶に残っています。

「人の数だけ性がある」


まああまり多様な性の話をするとまたややこしくなるのでここらへんにしておきますが
とにかく、ここで言いたいのは
男らしさの肯定(否定)=女らしさの否定(肯定)
ではない、ということです。
(分かりにくくなったら、先の「日本人らしさ」の話を思い出してみてください)

「日本人らしい自分」という国家帰属意識が個人の「自分らしさ」を作り上げる
大きな要素の一つであるのと同じように、
「男らしい自分」というのも、その人がその人であるために必要な、大事な要素なのです。

男らしくありたい人も、
女らしくありたい人も、
その他の様々なセクシャル・アイデンティティでありたい人も、
それぞれが、「それぞれらしく」いられる姿がいいし、そういうものを認めあう社会で
あってほしいと、切に願います。


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さて、ここまでで、
「男らしさ」というのは、「女らしさ」の逆のものではない、
ということがお分かりいただけたでしょうか。

多様な性のあり方があって、多数、少数こそあれ、
「男らしさ」も「女らしさ」もその一つなのです。

そしてそれは決して持ってはいけないものでもなんでもなく、
むしろ自分らしくあるために、一人一人が持ってて良いものなのです。

では、次は差別についてです。
「差別」なんて言葉を聞くだけで
「難しそう!それに自分はそういうの関係ないし」と
引いてしまう人もいるかもしれませんが、
差別は自分の中の「らしさ」のイメージが狭すぎる時に生まれやすいもの。
男らしさを考える上でとても大事なことなので、
どうぞお付き合いください。

普段なにも感じない差別意識が、環境を変えることによって
いきなり顔を出すケースもあります。
僕の実体験をふまえつつ、お話していきます。