専業主夫でいることが辛い。



専業主夫でいることが辛い。

【“ジェンダー・アイデンティティ”って?】
男とはなにか?
女とはなにか?
ジェンダーのアイデンティティで悩んでいる。ずっと。

ジェンダーってのをwikiで引っ張ってくると、

『先天的
身体的・生物学的性別を示すセックス(sex)に対する、「社会的・文化的な性のありよう」』

ってあります。説明文を読むと難しいが、例を見るとわかりやすい。


  • 男は外で働き、女は家を守る

  • 女性は化粧をし、男性はしない

  • 男はズボン、女はスカート

差別の話じゃない。
優劣でも善悪の話でもない。
「あり様」の話。

自分でこういうことを言うのは変なのを承知で言うが、僕は“男性意識が強い”人間だと自覚している。“男らしさ”を大事にすると言い換えてもいい。男性的に魅力があるかどうかは別として、男性的な行動・立ち振る舞いをすることによって自分の自己同一性(日本語で書くと難しい表現だな)というものを強く確認している。要は、「自分が自分であること」の確認ってこと。

こんなことをあえて言う人は少ないだろう。
滑稽に見えると思う。
なぜなら、例えばの話、これを読んでいるほとんどの方が


  • 日本人であること

  • 黄色人種であること

を普段疑わず、気にせず、当たり前として受け入れて生活しているように、男も女も、ヘトロセクシュアルな人は自分の性を当たり前のものとして受け入れていて、そしてその属性に見合った行動をしているため、それに対して普段疑いを持たないからだ。


【その人の経験や行動が、その人を作っている】
ただ、もしもその「男らしい行動」、「女らしい行動」を制限されたらどうなるか?

男なのに、ずっとスカートをはく生活を強いられる。
女なのに、一生メイクしないで生きる。

ただ布を腰に巻くだけ、ただ顔に少し色をつけるだけと表現してしまえばどうってことのない話なのに、日常生活に大きな支障をきたすだろう。周りの見る目も変わるだろうし、きっとなによりも、自分自身が大変不愉快な気分になる筈だ。


その“小さな行動”の変化が、「自分が自分であること」に疑問を持たせてしまう。ほんの、些細な変化に過ぎないのに。


【草食系と肉食系】
僕は男だから、男について語るが、さて「男らしさ」ってなんだろう。

こんなことを普段微塵も考えない男は、きっと男らしい生活をしている人達だ。
男らしさを表すシンボル―例えば、パソコン、仕事、クルマ、組織、女、ギャンブル、タバコ―といったキーワードに囲まれながら生きている人達だ。

もちろん、これは同じ男でも求める度合いが違う。
今の流行語を使った乱暴な二元論で言うと、いわゆる「草食系」な人達はこれらのキーワードが少しあればきっと満足できる。自分のアイデンティティを保ち、安定した自己のイメージを持つことができ、精神的に健全でいられる。

しかし、「肉食系」の人達は、これらのものを多く求める。僕はどちらかというと、二分するならこっちに入ると思っている。自分のことを例えているから一応言っておくと、「モテる」という意味ではない。より「男らしくありたい」と自分自身が思っているだけのこと。
(今の世の中の風潮は、性差を主張すること自体が差別みたいなところがあって、「俺は男らしくありたい」なんていうと、「前時代的」「男尊女卑」なんて言われそうだが、僕は差別的な考えを持っているわけではない。男女の性差は肉体的にも脳の構造的にも、そもそも違うもので、それらの差を無くすことは「性」を捨てない限りできない。むしろ、違いを認め合うことが大事だと思っている。)


【仕事をしない男は“男らしい”?】
肉食系で、男らしさを強く求める人は、男らしさを強く感じられる環境にいるのが幸せだ。軍隊(は日本にはないから自衛隊か)に入隊するだとか、会社などの組織で働くだとか、肉体労働をするだとか、そういったことが好ましい。

世の中の大多数の「仕事」ってのは、往々にして「男らしさ」を満たすものが詰まっている。組織があり、競争があり、評価があり、地位名声を得る機会があり、があり、、、仕事を女がしちゃいけないってことではない。ただ、男が喜びを感じる要素が詰まっていることが多いのだ。


だから、男が、特にもともと肉食傾向にある人が、「主夫」のような、ジェンダー的に少数派な役割、ひらたく言えば「女っぽい」役割を与えられるととてもストレスになる。自分に与えられた役割に、楽しさややりがいを見つけにくいのだ。
やりがいや楽しさを見つけられないと、だんだん作業はつまらない、自分にとって意味のない、満たされないものになる。これが続くと、やがて自分の自己評価が下がり、自己同一性が徐々に失われていく。


【“男らしさ”を感じられない仕事、シュフ】

「そんな男とか女とか気にするなよ!もっと自由でいいじゃん!ハッピー!」

こんな意見、よく聞く。
もっともだ。
とてもよく理解できる。
なぜなら、僕自身がそういうことを声高に言っていた人だからだ。

このブログでも過去に何度も書いているが、僕は昔、

「主夫なんて余裕でできるし」

と本気で思っていた。

子供も好き、家事もできる、そもそもなんでも興味を持ちやすい性格なので新しいことにも前向きに取り組める。

甘かった。

楽しいのは初めだけだった。

目新しさが無くなった時、猛烈な葛藤が襲ってきた。

辛いのは、作業そのものではない。作業は、できる。

その作業を通して得られる達成感だとか、自己認識が辛い。

どれだけ鏡をピカピカにしても、料理で凝ったものを作っても、子供の寝かしつけを上手にしても、

「ああ、自分、男らしい!」

と感じることが、無い。



この感覚はもちろん絶対的なものではない。あと50年後は、料理といえば男がするもの、みたいな時代になるかもしれない。でも、1970年代に生まれた僕にとっては、こういう作業は「女がするもの」というイメージが強い(何度も言うが、差別ではない)。
これは自分の母親、父親を見て育ち、培われたものだから結構どうしようもない。男はやはり父親をロールモデルにし、「お父さんのようになりたい」と思いながら育つもの。「お母さんのようになりたい」と思いながら育つ男の子は、あまりいないだろう。僕のお父さんは、当たり前だが(そしてなにも悪くないが)、家事はあまりやらない人だった。だから、仕方が無い。

男、特に肉食系の男が「主夫」をやるというのは、

「主夫ってなんか欧米チックで、いいよね!」

「新しい感じがするし、オシャレ!」

なんてイメージだけでは上手くいかない。
誰でもない、自分自身の価値観との戦いがずっと続くのだ。


【“カリスマ主夫”がいて欲しい!】

僕は、主夫をやめるつもりはない。少なくとも、子供らが大きくなるまではしっかりと育て、また自分の体調もしっかり安定させる。
やりたいことだけやって生きられたらいいだろうが、僕には子供を育てる親としての義務がある。個人から家族になったことで増えた役割がある。主夫の役割も、会社員の頃と比べ、やりがいはまだないが、なんとか自分で発見しながらやっていかなければならない。

前例がないことというのは、自由でルールがない分、ロールモデルも参考書もない
専門雑誌の一つも、ない。
全部自分で選択しなくてはいけない。
答えはないので、自分で自分のした判断に自信を持たないといけない。

「いいさ!僕が先駆者になってやる!ブログでガンガン情報発信だ!」

元気な時はそう自分に言い聞かせて、奮い立たせながらやっている。

しかし、あまりにも毎日が試行錯誤で、あまりにも迷うことが多い。
主夫として自分がきちんとやれているのかどうか、しょっちゅう不安になる。
「主婦」なら比較対象は山ほどあるが、「主夫」となると、事情が変わってくる(というか、かなり似て非なるものな気がする)。


【本音はね、、、】
正直なところ、会社員男性が羨ましい。
専業主婦が羨ましい。
定型イメージが出来上がっている流れに乗りたい。
たまに、思う。

自分で選んだ道に後悔はないし、諦めるつもりもないけど、たまにこうやって愚痴らないと、精神がおかしくなる。




いつか、心の底から「主夫ってこうやればいいんだ!楽しいわー!」って思えるように、なりたい。