『一歩を超える勇気』栗城史多 レビュー




友達にこの本が良い!と薦められたので、最近読書をしていなかったのだが、久しぶりに本を買ってみた。

『一歩を超える勇気』栗城史多

友達曰く、

「この本はある登山家が書いたものなんだけどね、そこいらの口先だけの自己啓発本を読むよりも、ずっと面白いよ。登山の記録やその思いが語られているんだけど、それが実体験に基づいていて、リアリティがあって、共感できる」



■前置き(読むのだるい人は飛ばしてOK)
僕は派遣の時、自己啓発本を読みまくったことがある。この頃のブログの内容が妙に精神論的だったり、夢を語ったりしているのもその影響だ。
良い本、くだらない本といろいろあったが、それら全て僕の糧になっている。こういう時期があって良かった。しかし、同時にこれ系の自己啓発本では満たされない僕自身の需要があるということもわかった。

こういう本には一定の傾向がある。

「こんな風にやったら成功できたよ!あなたも同じようにやってみて」

「こんな風に考え方を変えたら幸せな気分になれたよ!こんな風に考えてみて」

著者の体験の“結果”に基づいて、語られている。だからうまくまとめられていて読みやすいし、分析されているので「どうやったら成功した」という因果関係もはっきりしていて解りやすい。

ただ、同時にデメリットもあって、それらはキレイにまとめられているが為に“リアリティ”がない。言葉が悪い意味で「つまりこういうこと」と抽象化されている。結果論、後付けなら、なんとでも言える。成功する過程で悩み、もがき苦しみ、何度も失敗しているはずなのに、その様子が全然見えてこない。
少ない失敗談すらも

「いやー昔は大変だったんだよ。でもね、俺は諦めずにがんばって、最後は成功した!」

って過去を振り返りながら語られているから、なんか美化されちゃっている。

僕は性格が捻じ曲がってるからかも知れないが、こういう“昔話”ではなく、今活躍している人の、今の失敗体験が読みたい。

■読んでみて
、、、と、そんな僕の需要を満たしてくれた本。

大まかに説明すると、登山の記録と、それの感想。体験談を語る本としてはこれといって目新しいものはなく、「あの山の頂上まで登った~、こっちの山の頂上まで登った~」と本が進んでいく。

これだけならよくある流れなのだが、この本は「失敗」で終わる。

最後の章で語られる言葉は、

「僕は、敗退したのだ。僕の夢は、叶わなかった」

2年間かけてスポンサーを回って資金を集め、登山の準備をして、いろんな人を巻き込んで、最後、失敗。
これだけ見たら、なんともカッコ悪い、締まらない終わり方。でも、僕はこの終わり方が、逆にとてもカッコいいと思った。

イイカッコするなら、最後の失敗する章は載せなきゃいいのに。イイカッコし続けてたら次もスポンサー付きやすいだろうに。

でもこれは、著者である栗城氏が同書で述べている、

「成功と失敗は同じカテゴリ、成功の反対は『なにもしない』」

「山と対峙しない。全てを受け入れる」

という考え方をそのまま表現したものになっている。きっと、この失敗も次の山に登る為の伏線に過ぎないし、山に登れなかったのも、まあこんな時もあるさと思っているのだろう。

こういう風に心の底から思えるのは経験が伴っていないとできないことだ。本当に、本当に登りたかった山、自ら敗退を悟った時、泣いて、叫んだという。そんなことをさらけ出して語れるのは、すごい。

途中までは

「夢を人に語れば、いつかきっと必ず叶う」

「みんなが僕を応援してくれたのは、僕が無欲だったから」

等という、病気で苦しんでいる僕なんかからするとちょっとアレな感じな文もあったが、まあこういうスペシャリストの人達は良くも悪くも素直だからそこはあまり気にしない。

とにかく、失敗をきちんと受け止め、語れる、失敗は単なる過程であって結果ではないということを口先だけでなく体現している人が書いた本だった。面白かった。

ちなみにこの人は前にネットでちょっと話題になったのでこういう人がいるという事は知ってはいた。

「人の遺体が山頂の目印」という標高8167mの極限世界

僕がグダグダ語るよりもこの映像を見た方がいろいろ伝わるかもしれない。


小さな登山家 栗城史多 ブログ
本人のブログです。興味を持った方は是非。
本には書いてなかったけど、夢であるネット中継実現の為に個人で800万の借金とかしてたんだなあ、、、



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