6日目 ~マイテントに招待した人~

スタート位置:徳島・日和佐町

札所:3ヶ所

24番 最御崎寺

25番 津照寺

26番 金剛頂寺



延々と海岸をいく

薬王寺を8時すぎ頃に出発、後はただひたすら走る、走る、走る。目指すは室戸岬、四国でも有名な岬の一つである。ここまではおよそ70キロ、途中何もないのが特徴だ。この海岸沿いの道、本当ならすごい気持ちいい道なんだろうけど、台風の影響で海は大荒れ、苦痛以外のなにものでもなかった。

ただ、荒れた海がつくりだす巨大な波はすごかった。岩にぶつかる度にすごい低音が鳴り響き、それがぶつかる衝撃があまりに強くて霧状になり、道路の見通しが悪くなってしまうのだ。不安ながらも、ちょっと感動していた。





ウーファー顔負けの超重低音。自然の力はすごい。





宗教

室戸岬の近くに、「19歳の大師像」という、大きな像がある。そこの隣にはお大師さんが「空海」と改名したきっかけとなる洞窟がある。道すがらたちよると、おっさんが洞窟の入り口で雨宿りしている。

はじめは天気や寺などの話をしていたが、このおっちゃん、だんだん宗教の話をしてくる。

「戦後、オ○ムやら○○○会やらの邪教がはびこるようになってしまった。○○党なんてダメだ」

、、、まあ仏教真言宗の立場からすると、やっぱりあまりよくは思わないのかな?と思いきや、

「人間はな、みな平等であるべきなんや。よし、ちょっとお前頭貸してみい」

といって、オレの頭の上に手をかざしてきた。

「、、、ほら、どうだ?これはな、すごいパワーが伝わってな、ガンでもなんでも治るんだ。だんだんぬくくなってきただろ?

、、、ああやばい。こういう人か。オレはちょっとたじろぎながら

「、、、いえ」

と否定。するとこのおっちゃん、あきらめずに

「ん?そうか、よし、バッグ下ろしてみい。」

といってきたのでさすがに厄介なことになってきたと感じ、目的が違う、とかなんとかいって、その場をたちさった。



田舎では色んな宗教が広まっているというイメージがある。なんとなくそうなるのも分かる気がする。自分の力ではコントロールできない自然の力をいたるところで感じるし、また情報のやり取りの範囲が都会と比べて狭い。年寄りが多く、それに伴って病気がちの人も多いから「困ってる人を助ける」というほとんどの宗教が持つ目的が伝わりやすいのだろう。

このおっちゃんは「ガンでもなんでも治る」とっていたが、この「不治の病が治る」系の話は他の宗教でも、いくらでも聞く。まあ信じるのは自由だし、現象に対してどんな説明をつけるかも自由だ。例えばある重い病気にかかった人が、病院とお寺の両方に通いつめ、病院では薬をもらい、お寺ではお経を読んでもらい、結果病気が治ったとする。そしてそれを

「お医者様が治してくださった」と思うのも、

「お大師様が治してくださった」と思うのも、

自由だ。そしてそれは大した問題じゃないと思う。大事なのは、それを信じることによって心の安定が得られるかどうか、なんだろう。



24番の寺への道は、なかなか険しかった。寺に着いた時、"じーん"と感動してしまった。寺がよく山の上に建てられる理由は修行のためであったり、社会の喧騒から逃れるためであったり、いろいろあると思うが、このような「ありがたさ」を演出するためということもあるのではないだろうか。



遍路の旅は、本当にいろいろなことを考えさせられる。





ちょっとした休憩所のようなところ。雨続きで、本当に大変だった、、、





26番で会った学生

26番に着いた時、ちょっと茶髪の若い男がいた。白衣を着ているのでもちろん遍路だ。オレは一礼し、納め札を済ませた後、話しかける。オレは台風が来ているということでこの日は26番さんの宿坊に泊まらせてもらおうと思っていた。しかしこの人の話を聞くと



「ここ下りたところに道の駅があるから、そこで寝ますよ」



という。まじかよ、こんな天気で!?はじめは「ガンバレよ」という気持ちだったが、そのうち「もしかして今日いける!?」という思いに変わっていった。



「よかったら、ご一緒しません?」



こいつぁいいね。こんな台風の雨風の中、一人野宿は心細いもんだ。オレは一緒にいくことにした。

彼の名はシミズ君。九州の大学の4年生だという。就職先も決まり、大学生活の最後、今しかできないことをやろうということで歩き遍路をはじめたらしい。今日で8日目、ほぼ野宿だという。オレはチャリを押しながら一緒に道の駅までいく。



遍路での出会いは様々だが、こんなにゆっくり何時間も話したのは初めてだ。歩きながらバス停や店の軒下などを見つける度「ここ、泊まれそうだね」などと寝床を探しながら歩いた。途中、散歩中のおばあちゃんに教えてもらった喫茶店で夕食。ここで水とりんごジュースのお接待を受ける。

オレらはチャリ用地図に「東屋」と書かれた場所があったので、そこを目指して歩いていった。道の大きな公衆トイレに立ち寄った時、おばちゃんが近づいてきて



「これでジュースでもこうてや」



と、1000円くれた。
2人で分けることにした。





寝床を探して

東屋は見つかったが、環境が悪かった。壁がないので風が吹き荒れるし(東屋は壁があるものと思っていた)、雨にも打たれる。すぐ隣が海なので、波の音もうるさい。テントを張るのも危険なので、オレは「チャリでぐるっとまわっていい場所を探してくる」と言い残し、シミズ君を東屋で待たせ、去る。

民家はたくさんあるのだが、公園や神社など、落ち着ける広い場所が全くない。仕方がないので、警察駐在所の人をたたき起こし、



「夜分(9時くらい)すいません、この辺でテントはれるような、広くて風がしのげる場所ないですか?」



と聞く。

このおっちゃんはとても親切で、ずいぶん一緒に考えてくれたあげく、本署やらナントカ局長やらにまで電話して、いろいろ聞いてくれた。結果は全滅だったが、オレがあきらめ、何回も礼をいって去ろうとする時に、



「この近くにJAの倉庫があるから、もしかしたらそこの横に張ったらええかもわからん」



といってくれた。オレは藁にもすがる思いでそのJA倉庫にいき、環境をチェックする。変な胸像があったのがちょっと気になったが、それ以外はかなりよい。風もこないし、人目にもつかない。自動販売機の明かりで真っ暗にもならない。ここしかない。

オレはシミズ君がいる場所に急いで戻る。もう4、50分は経っているのではないか。ケータイの番号を聞いていなかったため、連絡もできずに迷惑をかけてしまった。シミズ君を連れ、倉庫へ向かう。二人で協力してテントを張り、やっと一段落である。



さっきもらった1000円で「祝杯をあげよう」と買ったビールは大分ぬるくなってしまっていたが、それでもうまかった。安心感は、なによりも美味しい。2人の顔に笑顔が戻り、つまみのイカをかじりながら、遍路の事、自分の過去の事などを夜11頃まで、ゆっくり話した。